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福岡県朝倉郡筑前町には、大刀洗平和記念館という施設があります。
少し前に筑前町に行く事があって、道路の案内板で見かけてどんな施設なのか気になっていました。

調べてみると、第二次世界大戦で使われた日本の戦闘機『零戦』『九七式戦闘機』などの今では見る事がない貴重な戦闘機や飛行機、ヘリコプターなどの実物や模型が展示されているそうです。
Googleマップのレビューでも高評価をされていたので、どんな施設なのか気になっていました。

今回休みが続いたので、生の零戦を見るために、行ってみることにしました。



■大刀洗平和記念館とは?

かつてこの地には「東洋一」と謳われた広大な飛行場が存在していました。
それは旧陸軍が誇る西日本最大の航空拠点『大刀洗飛行場』です。

しかし、昭和20(1945)年3月27日と31日、米軍の大空襲により民間人を含む数多くの尊い命とともに、その巨大な航空基地もその姿を消してしまいます。
また、この飛行場は特攻隊の中継基地として、終戦間際数多くの若き特攻隊員たちの出撃を見送った場所でもあります。

平成21(2009)年10月、この地で起きた歴史の真実、そして多くの尊い犠牲のうえに現在の平和と繁栄があることを永久に語り継いでいくための「平和の情報発信基地」として大刀洗飛行場跡地に建てられたのが大刀洗平和祈念館です。


展示内容
  • 飛行場の概要と航空技術
飛行場の周辺施設の位置・規模が床面の大型航空写真で確認することができ、幻の試作機「震電」や当時の飛行機模型を多数展示。
世界に唯一現存する零戦三二型の実物と当時の航空技術について紹介しています。

  • 大刀洗飛行場と人々の生活
旧陸軍の航空拠点としての役割や教育施設設置など飛行場の歴史を物語る写真や飛行場完成により商店街の賑わいや人々の生活を紹介しています。

  • 大刀洗大空襲と特攻隊
空襲によって破壊された飛行場、町、そして避難していた児童31名が爆撃で犠牲になった悲劇。
大刀洗飛行場から特攻出撃した「さくら弾機」の搭乗員たちや博多湾から引き揚げられた九七式戦闘機の実物、死を覚悟した兵士たちが愛する家族へ残した手紙や遺書、辞世の数々を紹介しています。

  • 追憶の部屋
これまで明らかになった空襲の犠牲者と大刀洗飛行場にかかわりを持ち戦死した兵士たちの遺影を追悼する空間です。

他にも2Fには企画展示コーナーや戦史や航空技術に関する書籍の閲覧ができる図書閲覧コーナー
新館には将来ある多くの若者たちが国や家族を守るために命を捧げた特別攻撃隊について紹介した展示室や200人収容できる多目的室もあります。


利用案内
開館時間:9:00~17:00(入館は16:30まで)まで
休 館 日:年末(12月26日~12月31日
入 館 料:大人(大学生以上)600円、高校生500円、小中学生400円、未就学児は無料


アクセス情報
  • 最寄りJR駅からのアクセス
甘木鉄道・大刀洗駅下車、道路を挟んで反対側

  • 車の場合
大分自動車道筑後小郡IC・甘木ICから降りて国道500号線を走ること約10分


駐車場は、乗用車84台収容で無料。




■行ってきました

こちらが大刀洗平和記念館
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施設の外観は、大刀洗陸軍飛行場の格納庫を模したカマボコ型に造ってあるそうです。
16時前に到着して、車はそれなりに停まっていましたが、駐車場は広かったのですぐに停めれました。

そして駐車場目の前にはさっそく三菱重工のMH2000ヘリコプターがお出迎え。
日本初の国産技術だけで開発された初めてのヘリコプターです。
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これに乗り物大好きな我が家の長男と次男むっちりは大興奮。
ヘリコプターの飛んでる姿を見るのはよくありますが、ここまで近くでヘリコプターを見るなんてあまり無い事ですよね。

ヘリコプターの横を通り大刀洗平和記念館の入口に向かうと、この注意書き。
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零戦だけが撮影可能みたいですね。
入口を入ると目の前には、受付とお土産コーナー。

受付で、大人2人1200円を払うと、まずは学芸員の人から施設の簡単な内容と大刀洗飛行場について、見て歩く順路の説明を受けます。
説明を聞いた後は、自由に観覧できるんですが、受付から既に零戦が見えていたので、真っ先に走りよる我が家の長男とむっちり達(´▽`;) '`'`

親は飛行場の歴史や女性パイロットがいた事実、現在までの飛行機の流れなんかをゆっくり見ていきたかったんですが、さすがに見れず(´-д-)-3
まぁ、5歳児と3歳児には飛行機以外よく分からないから興味が無いので、しょうがないですね。

そしてこれが現存する世界唯一の『零式艦上戦闘機三二型』
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なんというか「凄い…」の一言です。
この機体は、マーシャル諸島のジャングルに眠っていたそうで、交渉し譲り受け、昭和58(1942)年に日本に移送し修繕したものです。
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前からの姿も圧巻。
コクピットを見れるように階段があるので嫁さんと子ども達は上がって見ていました。

こちらは零戦のコクピットの計器模型。
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計器の数が多いですね(;・ω・)
これ、全部確認しながらの操縦は大変そうです。

正面に回るとプロペラ部分。
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その重厚さと大きさに圧倒されます。
そして、こちらがコクピット内。
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狭い空間、鉄でできた固い椅子部分。
この椅子に座り、何を想いながらこの機に乗って出撃していったんでしょうか。
 
零戦を見た後は、現実へと引き戻される内容との対面です。
次の展示の大刀洗大空襲と特攻隊を見て胸が締め付けられるような思いでした。

「零戦カッコいい!!」と興奮して写真を撮っていましたが、実際その機体は戦争の道具、いわば人殺しの道具なんですよね。
そして、その戦争の報復の応酬が大空襲と特攻。

戦地から家族へ送られた手紙、遺書、辞世を読むと、故郷に残した母と幼い弟妹へ向けたものや妻や子どもに向けたもの。
しかも、どれもが18~20代の若者たちばかりです。

これからを生きて時代を作っていくべき若い世代が命を散らせていく時代。
それがどれほど無意味で悲しい事なのか…そう思わずにはいられませんでした。

これがもし自分の立場だったら…2児の子どもを持つ父として妻と子どもを残し逝く気持ちは耐えがたい思いです。
そしてこれがもし自分の息子だったなら…辛くて考えたくもありませんでした。
  
教科書には詳しく載っていない忘れてはならない戦争の悲劇がここにはありました。
追憶の部屋には数多くの遺影が飾られてあり、そのどれもが若い人たち。

下は15歳から上は50代まで、当時の写真のまま飾られてあります。
2Fに上がると企画展示コーナーはシベリア抑留について。

戦争終結したにも関わらず酷寒の地で乏しい食料と劣悪な環境で強制労働させられていたという様子や内容に、目を覆いたくなるような凄惨な内容でした。
長男とむっちりはよくわからないので、とりあえずヘリコプターや零戦などの戦闘機、展示物を見て楽しんでいるくらい(´▽`;) '`'` 

さすがに5歳児や2歳児で戦争がなんやらシベリア抑留がなんやら理解するなんて無理ですね。
子ども達も見てわかるようなものなのかちゃんと調べていくべきでした。





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■まとめ

今回、零戦や他の飛行機が見れるからという浅はかな思いで行ったんですが、戦争というものの悲劇やこの地に散った命、思いに触れて戦争についていろいろと考えさせられました。
親として子どもたちに戦争ということを教えるうえで貴重な勉強になったので、行って良かったと思います。

我が家の長男とむっちりにはまだまだ早かった内容だったですけどね(´▽`;) '`'` 
行くなら小学校高学年の戦争を学校で習ったくらいに連れていってあげるといいんじゃないでしょうか(๑•̀ㅂ•́)و✧

今や、戦争を経験した世代は高齢化が進み、だんだん戦争の悲惨さを次の世代に語り継いでいくのには限界が出てきています。
なので、こういう平和記念館で、目で見て感じ戦争を知るという事も語り繋いでいく1つの方法だと思います。

戦争という忘れてはならない史実を詳しく知り、日本人として忘れないために、大刀洗平和記念館に行って見てはいかがでしょうか?


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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